インドは9億人の医療IDを発行した。日本のマイナ保険証は8,000万枚——規模が違う
きっかけは、マイナ保険証の「現場の声」だった
「マイナ保険証、電波が悪くて使えなかった」
「うちのクリニックでは端末が遅くて、結局紙で受付してる」
Xのタイムラインで、こんな投稿をよく見かけます。
実家のクリニックでも同じ話を聞きます。導入したものの、事務さんが「紙のほうが早い」と言い、気づけば読み取り機は隅っこに。そんな光景、想像できる人も多いでしょう。
「国全体の医療DX」と「現場のクリニックの運用」の間には、大きなギャップがあります。
このギャップを考えるヒントを求めて、インドの国家医療DX——Ayushman Bharat Digital Mission(ABDM)を調べてみました。
インド、9億人のデジタル医療ID
ABDMは、インド政府が推進する国民規模の医療デジタル化プロジェクトです。
ABHA(Ayushman Bharat Health Account)と呼ばれるデジタル医療IDの発行数は、2026年7月時点で9億3,950万。日本の人口の7倍以上です。
連携された健康記録(PHR)は10億5,000万件。登録医療施設は53万施設、医療従事者は98万人。ABDM対応アプリは250以上、月間の同意ベースのデータ共有は450万件を超えます。
そして面白いのが、政府が小規模クリニック向けにリリースした軽量HMIS「eSushrut@Clinic」。月額299ルピー(約540円)で、2,200以上の施設がオンボード済みです。
数字だけ見れば、インドの医療DXは日本を大きくリードしているように見えます。
でも、現場ではこんなことが起きている
では、インドの現場は順調なのでしょうか。
調べてみると、意外なほど「日本と同じ課題」に直面していました。
まず、ABHAの発行数は9億超ですが、学術調査(BMC Health Services Research, 2026年3月)によると、実際に病院で使われた割合は約24%。IDは持っているのに、使っていない人が大量にいるのです。
なぜ使われないのか。AIIMS(全インド医学研究所)の調査では、リンク失敗の原因の72%が「電波不足」と「患者のスマホ未所有」でした。スマホを持たない高齢者や低所得層は、そもそもABDMに参加できない構造的な格差があります。
日本で言えば「マイナ保険証、電波が悪くて使えない」と高齢者を中心に声が上がっているのと、まったく同じ構図です。
さらに、コインバトールという都市のクリニックでは、こんな出来事がありました。
長年紙ベースの運用を続けていた小児科クリニックが、ある日突然、提携病院からの紹介が減っていることに気づきます。原因は、そのクリニックがABDMに対応していなかったこと。提携先が「ABDM対応の医療機関に紹介する」方針に切り替えたため、自然と紹介が止まってしまったのです。
「うちは紙でいいや」と決め込んでいたクリニックが、気づかないうちに患者の流れから取り残される。この話、日本のクリニックでも十分起こりうる話だと思いませんか。
「制度」は整っても、「現場」は追いついていない
インドのABDMと日本のマイナ保険証に共通するのは、「国全体の仕組みはできたのに、現場の一人ひとりのクリニックの運用基盤は整っていない」という状況です。
インド政府はeSushrutのような低価格HMISを出しましたが、現場の医師からは「デジタル文書化が増えるだけ」「UIが不適切だとバーンアウトが悪化する」という声も上がっています。
制度が現場の負担を増やす。この構図は、国の医療DXに限った話ではありません。
クリニックが向き合わなければならない「上から降ってくる制度変更」は、医療IDだけではありません。2026年10月には社会保険の適用拡大が控えています。
この制度変更の影響はシンプルです。パートさんが「週20時間」を超えると、社会保険の加入義務が生じる。つまり、年間約106万円の壁から、労働時間ベースの管理に基準が変わります。
国の制度としては大きな変更ですが、現場のクリニックにとっては「パートさんのシフト、今週20時間を超えてないか確認しないと」という日々の運用の話です。紙の勤怠表で週単位の時間を積算しながら、複数人のシフトを管理する。これが、想像以上に手間なんです。
Medical Attendも、この「制度は変わるのに、現場のシフト管理は紙のまま」というギャップから生まれました。
インドのABDMも日本のマイナ保険証も、そして社会保険の適用拡大も。制度そのものの是非ではなく、「国の仕組み」と「現場の運用」の間にできる溝をどう埋めるかが本質的な課題です。
国の医療IDの読み取り機が隅に置かれたままにならないようにするには、現場の日々の運用に合った道具が必要です。それは医療IDであれ、シフト管理であれ、同じことだと思います。
「そろそろ紙のタイムカードをやめようかな」と思ったときに、その一歩を後押ししてくれる道具が身近にあること。それが、結果的に経営の見える化につながっていくのだと思います。
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